JR中央線の高架下で催されている「杉並建築展」にふらっと立ち寄る。
「杉並」の建築展なのに自分は全く関わりがないところが寂しい。24組もの参加者ということで、杉並にもそんなに建築家がいたのかと思ったら在住・在勤ということではないらしい。杉並の有名建築家と言ったら永山祐子さん、成瀬・猪熊さんあたりだろうが、藤本壮介さん、藤村龍至さんといった今をときめく方々や、石田敏明さんという大御所も参加している。それ以外にも杉並に縁があるという主に若手の方々や大学の研究室単位で、熱いプレゼンテーションを公開する場となっていた。
展覧会のテーマ「説明のそとがわ」は建築家にとっては永遠の課題といってもいいだろう。建築家はしばしばその成果を「作品」と称して批判されることもあるが、そういう側面があることもまた事実。しかし他のアーティストと決定的に違うのは一人では作れない、あるいは他人のお金で作るということである。ということはその作品づくりに共感し賛同してもらうための「説明」は不可欠なのである。その「説明」の「そとがわ」とは。
ここで議論になるのが
「説明できないことがあってはならない」
「説明できないこともある」
「説明できないことこそが大事」
といった言説だ。
自分は大学では工学部の建築科に所属し、大学院では美術学部の建築科に所属していた。前者では理論の構築と説明することの重要性を叩き込まれたのに対し、後者ではもうちょっと感覚的な言葉や柔らかい発想に出会うことが多かった。これは理系=理論、芸術=感覚、と分かりやすく区分できるものでもないとは思うが、どちらの要素も併せ持つ建築家の特性が表れているとは思う。自分自身はどちらかというと前者「理論派」の立場であるが、「感覚派」の要素の重要性も十分理解できるし憧れていたりもする。
説明できないというよりは、あえて説明するのもナンセンスなことは多い気がする。例えば「これってかっこいいですよね!?」という感覚は説明するまでもなく共有したい。「説明」しないまでも「共感」してもらうことは大事だと常々思っている。
今回は「説明のそとがわ」を意識してそのテーマに即した展示をしている人も何人かいたが、ほとんどそこに触れていないものも。みなさん色々工夫した見せ方は多種多様で戦略的に参考になる事例もあった。
イベントスペースは高円寺と阿佐ヶ谷のちょうど中間くらいの高架下倉庫だったが、駅からはちょっと離れていて一般の人にはなかなか目につかないのはちょっと残念。せっかく杉並なんだし、オール杉並的な発信で自分を混ぜてもらってもっと地域に開かれるといいなと思った次第でした。
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