2回連続で内藤廣さんの展覧会ついて。前回の渋谷ストリームでの赤鬼青鬼展覧会で買った本を皮切りに内藤本を読んだり過去の仕事を見返していた最中、同時期に催されていた紀尾井清堂へも行かなきゃと思い続け、この一ヶ月頭の中に内藤さんがいたのだから仕方がない。
展覧会は「建築家・内藤廣~なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」。無料公開で内藤さん設計の紀尾井清堂を見学しつつ内藤さん愛用手帳の現物を見られる、ということですごい混雑だと聞いていた。しかし火木土のみかつ16時までということで二の足を踏んでいたら結局最終日になってしまうという失態。朝イチで行ったら覚悟していたほどではなくそれでも多くの人で内藤廣という人の人気の高さを思い知る。同年代や上の世代は分かるとして、外国人や若い人の多さにびっくりした。
建物はコンクリートのキューブがガラスの被膜に覆われた構成。2〜5階の立方体が1層分持ち上げられたようになっている。
1階は「東日本大震災への鎮魂」と題して、当時の被災者と同じ数のガラスタイルをリング状に配置したインスタレーションのフロア。荒々しい床と天井に挟まれた開放的な空間に、上階の立方体キューブを持ち上げる捻りの効いた4本の多角形柱が印象的である。
立方体キューブに入り込んでの2階は、内藤さんの言説から抜粋されたフレーズが床の白いボード上に赤青のテキストで並べ立てられる。上を見上げると、最上階までの吹抜を囲む回廊と印象的な9つの柔らかい開口を持つトップライトが一気に目に入る。人の多さもさることながら、ここでもう圧倒されてしまう。
3階からの上の回廊には今回展示の目玉となる手帳が、下階から上階へ順路にしたがって年代順に公開されている。40年分というから独立したての若い頃から書いているスケッチに加え、新聞や雑誌の切り抜きなど様々な媒体が貼り付けられて分厚くなっているのが印象的だ。スケッチも雑紙やナプキンに書かれたものを切り貼りしている。内藤さんはとぼけているが時間も手間も掛かる作業だし、手帳にこういうことをしている人を他に知らない。しかしなるほど、とにかく様々なものからインプットして記憶として残しておくことの大切さとその有効な手段として大いに関心させられる。自分なんてそもそもスケッチブックを開くことさえ少なくなって来ているではないか。
現物はガラスケースに入れられ、隣に置いてあるレプリカを自由に見られるのだが、このレプリカが本物みたいで最初はどうして同じものが2つあるのかと思ってしまったほど。ガラスケース内で見せている手帳については内藤さんの回想コメントがリアルな内容で、人となりを感じられておもしろい。背面に展示されている関連プロジェクトの写真や図面は渋谷ストリームで見たものも多い。専門家としては興味があって当たり前だが、中身が濃すぎて頭がクラクラしてきてしまう。
この建物は「機能は決まっていないので自由につくって欲しい」という依頼だったそうだ。建築家としてはこの上なく究極的に光栄なリクエストであるが、同時に戸惑いもあったことと思われる。自由ほど不自由とはこのことだ。
パンテオンの光のイメージはだれでもが共感することで、この建物では構造的な架構の合理性とも合わさって納得感と同時に恍惚とする柔らかい光がとにかく心地よい。内藤さんの建物にはトップライトが多いので集大成的なものだろうか。
コンクリートのキューブが縄文で被膜のガラスが弥生を表現している、という説明は言われれば納得だが、「とにかく自由」から始まった思考の終着点としてはいまいちピンとこなかったのは僕だけでしょう。あと手摺や壁面の細かい単位の木を使ったデザインは内藤さんらしいのだけど、吹抜とトップライトの潔さに対してはちょっとうるさい印象だった。
前回渋谷に引き続き内藤さんのスーパーマンぶりに追い打ちを掛けられた気分だが、ともかく感じたのはインプットすることの大切さ。最近本読んでないなあとか、旅行いきたいなあとか。サボっていることが多すぎる。若い頃の熱い気持ちはどこかへ行ってしまっただろうとか。
落ち込むんじゃなくてこれからの自分に活かしたい。いや比べるなんて恐れ多いのだけど。
今日は帰ってまずスケッチブック開こうかな、って言う人多いと思う。
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